スポーツ解体新書 (朝日文庫)
本, 玉木 正之
によって 玉木 正之
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内容紹介 サッカー、野球、テニス、オリンピック……。国内外を問わず、世界で最も多くの人々に注目され発展し続けている、人類共通の文化”スポーツ”。だが、文明開化の折りに「輸入文化」として欧米のスポーツに触れた日本では、スポーツ本来の持つ意味はいまだ根付いたとは言えない。そこで約130年間に渡る日本スポーツの歴史を振り返り、日本人とスポーツについて考え、その未来の展望を提示する。 内容(「BOOK」データベースより) 明治時代に初めて欧米のスポーツに触れた日本では、スポーツ本来の持つ意味はいまだ根付いたとは言えない。そこで、スポーツライターの第一人者が、日本における130年の歴史を振り返り、世界で活躍する日本人選手や五輪等、スポーツを通した日本人とスポーツの未来を提示。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 玉木/正之 1952年京都市生まれ。東京大学教養学部中退。大学在学中から新聞、雑誌への執筆活動を開始。大学中退後は、雑誌編集者等を経てフリーに。スポーツライター、音楽評論家、小説家、放送作家として、新聞、雑誌への執筆をはじめ、TV、ラジオ番組への出演、講演活動など幅広い活動を行っている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 続きを見る
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メジャーリーグやオリンピックが毎日TVのニュースに上る現在、我々の思考はいやでもスポーツから何らかの影響を受けています。そんな事情から、スポーツの事を知ろうと取った一冊。開いてみると、実に多くの事の勉強になります。本書の優れた点としては、'(1).フットボールが、14世紀頃の、町中を暴動のように駆け回る遊びから、「決められた場所」、「統一されたルール」「誰もが認める組織の管理」「誰もが参加できる条件」といったルールによって整備されていったという歴史的事実から、ルールや組織の存在が近代スポーツにとって決定的に重要な要素である事(本書、p.72)、'(2).現代世界に、世界オリンピック委員会、国際サッカー連盟、アメリカスポーツ文化圏という複数の「スポーツ文化圏」が存在し、それらはスポーツとそこに適用されるルールにも大きな影響を与えていること(pp.164-165)、といった近代スポーツを取り巻く「縦線」と「横線」を明らかにしているところがあるでしょう。スポーツに関して殆ど知識皆無な筆者でも、大まかな見取り図を知ることができました。また、スポーツ文化の主導権を握ろうと、イギリス、フランス、アメリカがそれぞれ独自の価値観と戦略を持ってスポーツを主導してきた事実には(pp.198-202)、スポーツという「熱狂」を取り巻く社会や政治の現実を知ることができます。また、本書の大きな特徴としては、著者が日本の企業スポーツ文化体制を大きく批判している事が挙げられるでしょう。企業がスポーツの土壌となっていることが、日本スポーツ界の閉鎖性につながっていること、また、そこには近代日本が西洋スポーツを輸入するときに広まった「体育的な考え方」が大きな影響力を持っている、と著者は指摘しています(pp.250‐257)。生憎、筆者にはこれらの著者の見解を正当に評価するだけの知識はありませんが、確かに著者が主張するように、オリンピックの時だけ熱狂し、それらを取り巻く社会の状況や、選手たちの置かれている環境に関して無知である、という日本人の状況(pp.3‐15、p.270)は問題だと筆者も思います。スポーツの歴史やルール、その文化的、政治的文脈を知ることで、はるかに深く我々はスポーツを楽しむ事が出来るのではないでしょうか。最後に、個人的に重要だと思った点について。スポーツを考えることは身体観を考える事だという著者の見解(p.34)や、日本人はルールをただ遵守するものだと考えて、つくるものだという意識がないことが問題だ(p.60)という著者の指摘には筆者も大賛成ですが、その原因となっている日本の文化的な考察に関しては、いまいち深さが足りないように思われます。また、そのため、それらの打開策として提示されている地方に密着したスポーツクラブの運営といった方針もヨーロッパへの単純な追従という印象は拭えません(勿論、いいものはドンドン取り入れればいいのですが)。また、スポーツ文化が「地球」や「地方」を新たに繋げるかけ橋となりうるという主張も、一般書なのでまあリップサービスの類と受け取ってもいいのですが、現代でもスポーツが担っている国威発揚としての側面を軽視しすぎている気がしました。また、ニーチェやメルロ・ポンティを引用して、精神に対する肉体の重要性を訴えるのはいいのですが、精神と肉体という哲学の歴史における大問題について、著者がさして真剣な考察を払っているようには思われません。細かいようですが、精神と肉体とは如何なる関係にあるのかを考察する事は、著者自身が指摘している遺伝子ドーピングの問題も相まって(pp.38‐40)、「一体何が人間にとって「自然」で望ましいのか、という問題とも絡んでくる問題なので、おざなりにしてはいけないと思います。
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