気張る男
本, 城山 三郎
によって 城山 三郎
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内容紹介 明治初期、銀行、繊維、鉄道、ビール会社など次々と事業を拡大して関西一の財界人になった松本重太郎の波瀾に富んだ生涯をえがく 内容(「BOOK」データベースより) 銀行、鉄道、紡績、ビール会社など次々と創業した“関西実業界の帝王”松本重太郎の波瀾の人生。 内容(「MARC」データベースより) 10歳で丁稚奉公に出て以来、大阪で仕事に打ち込み気張って働き続けた松本重太郎。銀行・繊維・鉄道・ビール会社などを創業した「関西実業界の帝王」の波瀾の生涯を通して企業経営のあり方を問う。
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この「気張る男」を読むときに、当時の日本経済の全体像を把握しておきたい。大阪商工会議所の資料で、「昭和元年の大阪市の生産額は約8億96百万円、東京市は約3億68百万円、大阪が全国のトップであった。しかし、次第に軍事色、統制色が強まるなか東京の産業が急テンポで重化学工業化を進めた結果、昭和10年前後に東京が大阪を抜いた。」つまり、松本の活躍した時代に天下の台所大阪は健在で、東京は政治と中央官庁、それに人材を送り出す大学はあったが、産業と呼ばれるものは、お抱え外国技術者による国営企業が苦戦しながら道を開きつつあり、当時の繊維を中心にした軽工業は東洋のマンチェスターと呼ばれた関西(大阪)を中心に花を咲かせ、外貨を稼いでいた。関東では、渋沢や安田や根津らの民のビジネスが始まってはいたが、三菱や三井などの政商を中心に官と進めるビジネスが主流で、逆に関西では、「鼠」鈴木商店の金子直吉や、この本の松本重太郎など、民業に綺羅星のごとく数多く優れた経営者がいた。城山さんのこれら本のように、もっと掘り起こされるべきなのだが。結局、昭和の時代に関東が軍ともつるんで経済面でも全国を牛耳ることと、戦後の財閥解体で地方財閥は解体され、戦中に国の一県一行政策を経て地方銀行を集約した財閥系巨大銀行はそのまま中央に残り、東京中心経済史観が皆の頭の中に巣くってしまう。あとがきに佐高信が、城山の書く人物の選択理由を述べているが、「完結していなくてどこかに入り口のある人」とある。もう少し長生きして、関西の(だけでなく地方の)埋もれている経済人をもっともっと掘り起こして欲しかった。話はかわるが、重太郎が高野山の寺院の修復に努めたことは本文に詳しいが、文中に出る大和屋の阪口ウシの子息祐三郎も高野山金堂脇に姿の美しい六角二層の経蔵を寄進しているので、現地に足を運ばれる機会があれば見ておきたい。
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