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死刑事件弁護人―永山則夫とともに

, 大谷 恭子

によって 大谷 恭子
4.4 5つ星のうち 2 人の読者
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内容(「BOOK」データベースより) この本は、永山則夫という稀なる個性を鏡としながら、傷つき、悩み、苦しみ、弁護士として、一女性として、変化成長して行く、著者自身の記録である。 内容(「MARC」データベースより) 死刑制度の矛盾が顕著に現れた永山則夫の「連続ピストル射殺魔事件」判決。死刑と無期に揺れる二つの判決に立ち会った元弁護人が、何が被告の生死を分けたのかを追跡し、死刑事件がどのように裁かれるのかを明らかにする。
以下は、死刑事件弁護人―永山則夫とともにに関する最も有用なレビューの一部です。 この本を購入する/読むことを決定する前にこれを検討することができます。
団塊の世代に属する私にとって、永山則夫は同世代だった。彼の起こした連続射殺事件は、大学紛争の絶頂と時期を同じくしている。本書に序文を寄せている死刑廃止論者の団藤重光博士自身、全共闘学生に研究室を破壊され、敵として罵られながら、大学当局者として紛争収拾のために動かざるをえず、安田講堂篭城戦の「暴力学生」たちの裁かれた「荒れる法廷」を、複雑な気持ちで眺めずにいられなかった立場の人だ。が、全共闘学生たちの運動は(後にあさま山荘事件を起こした少数を除けば)、結局のところは、大学まで進学させてもらえた恵まれた家庭の駄々っ子たちの起こした「革命ごっこ」にすぎず、死を賭しての戦いなどではなかったのに対して、同世代から出た永山則夫は、本人も言うとおり社会の最底辺に突き落とされた階層に属し、劣悪な生育環境の中で「無知」ゆえに凶悪犯罪に走り、そのことを痛切に悔やみつつ、「おれをこんなにしてしまった原因は、いったい何か?」を問うて、獄中から「社会への挑戦状」を突きつけた人であった。彼は彼なりに必死に「償い」を考えたが、他の多くの有名死刑囚のように、信仰に救いを求めて、ただひたすら恭順に死を受け容れるというようなことはせず、挑戦の姿勢を崩さなかった。「情状」と「精神鑑定」に一縷の望みをつないで弁護を続けざるをえなかった弁護団と、被告人本人は、しばしば心の行き違いをきたし、裁判途上で解任されて、弁護団を去らねばならなかった弁護士も多い。著者も、第一次控訴審で死刑から無期への減刑を勝ち取る段階では大いに被告人のために貢献したにもかかわらず、最高裁の差し戻し判決によって再び死刑の可能性が高まってきた段階で、捨て鉢な態度になってゆく被告人とのあいだで、心の溝を修復できなくなり、差し戻し控訴審の最終段階で弁護人から降りざるをえなくなる。そのころ、永山則夫は、せっかく得た人生の伴侶の「和美さん」とも離婚してしまう。が、捨て鉢な態度で挑戦を続けた彼・永山則夫は、私どもの世代にとって、つねに「自分たちは、こんな制度の国をノホホンとして肯定したままでいていいのか?」と自問するきっかけを与えてくれる、何か不思議な「難問」であり続けたし、今もそうである。酒鬼薔薇事件(神戸連続児童殺傷事件)の被疑者逮捕からまもない1997年8月、まるで「国は少年の犯罪に対しても甘くないぞ」という「示し」をつける「見本」のようにして、彼は処刑された。著者は本書の結びで「永山君は私に、死刑廃止という重い課題を残した」と書いているが、本書の初版が出た1999年6月の2か月前には、後に有名になる「光市母子殺害事件」が起こっている。そして、結果としてはその事件が、わが国での、世界の潮流に反する「死刑存置」の世論づくりへ向けて、大きな影響力を行使してしまうことになる。本書が書かれたころ、ひとつの時代が終わり、そしてもうひとつの時代が始まったのだ。そして、その「もうひとつの時代」は、2012年2月20日(光市母子殺害事件最高裁死刑判決)をもって一応の終幕を迎えた。これから私たちはどういう時代に入ってゆくのだろうか?

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